服、音楽、文描き。(Prod. by いんふぃ)

ファッション,ダイエットのことなど書いてます.

『あたりまえ』を失いたくない

いんふぃです。

 

今朝から色々とありまして

 

ここで吐き出したく、記事を書いています。

 

うちには高齢の飼い犬がいます。

 

今13歳です。

 

心肺系の病気を患っていて、

 

今年の初め頃、一度発作を起こして死にかけました。

 

その日の夜、病院に行き、

 

『今晩が山なので覚悟して下さい』と告げられ

 

次の日の朝

 

『頼む、電話鳴るな、鳴らないでくれ』と

 

祈るような気持ちでいたことを覚えています。

 

それからというものの、

 

酸素室での生活にはなりましたが、

 

一度死を彷徨ったとは思えないほど

 

一応回復をしました。

 

2-3時間程度でまた酸素室に戻さなければ

 

死んでしまうので、前ほどの自由は無くなりましたが。

 

それでも、良かったのです。

 

あの夜病院の酸素室で苦しそうにしていたアイツと

 

また家で出会えたこと。

 

それだけで、素晴らしいことだった。

 

その時はよく分かっていました。

 

今あるこの時間は、

 

『本来あの時終わっていたはずの尊い時間である』

 

ということ。

 

また頭を撫でられる、手を舐めてくれる

 

これが『残された奇跡』みたいなものだと。

 

でも日々が過ぎると

 

その『奇跡』は『日常』になり、

 

あの時の激情が嘘のように『あたりまえ』になります。

 

今朝の4時ぐらいですかね。

 

犬が発作を起こしたようです。

 

私は気づけなかったのですが、

 

父・母・妹が対応してくれたみたいです。

 

時間にして30分ほど。

 

落ち着いた時の呼吸回数でさえ、

 

一応安全とされる回数からは逸脱した数値でした。

 

朝、私が見に行くと

 

いつも食べる飯も食べない、水も少ししか飲まない

 

こういうシーンが訪れるたびに

 

『ついに、その時が来てしまったのか』という

 

苦しくて、やりきれない気持ちになります。

 

そして目の前にあった『あたりまえ』が失われようとしていることに

 

また、気づくのです。

 

そして、その価値を思い出し

 

ただひたすらに、後悔するのです。

 

『もっと出来たはず』

 

『もっと一緒にいられたはず』

 

その学ばない愚かな自分をまた、嫌いになります。

 

 

「この日々がずっと続くと思ってた?」

 

「別に治ってるわけじゃないんだよ?」

 

 

何も出来ないのです。

 

自分が何か、こいつのために出来ることはないのか

 

何も、ないのです。

 

ただ見ているしかない。

 

そんな辛い状況を三人に託して

 

自分は学校に今向かっています。

 

 

『今の自分は家族として正しい?』

 

 

耐えられないのです。

 

発作の声を聞くたびに

 

自分は気質なのか何なのか知りませんが

 

ある種の『トラウマ』なのでしょうね。

 

前の子が病気の発作で死んでしまった時や

 

今年の初め頃に、

 

一度死にかけた時の姿を思い出してしまって

 

心臓がバクバクなってしまい、

 

耳を塞いでしまうのです。

 

その発作の声が頭の中に残らないように

 

すぐイヤホンをして

 

爆音で音楽を聴いて、気持ちを落ち着けます。

 

しばらくは思い出してしまうような話や、

 

モノを見ないようにしないと、

 

苦しくなってしまいます。

 

それを振りかざすように

 

親に伝えたこともあったけど

 

よく考えれば、家族みんな辛いはずですね。

 

少し周りが見えなくなっていました。

 

でも自分は、見たくなかった。

 

見られなかった。

 

でも、それは家族としては正しいのか。

 

俺には分かりません。

 

もちろん生きて欲しいけど

 

この辛すぎる状況がここからずっと続くのであれば

 

私は気が狂ってしまいそうです。

 

介護とか、親の病気とか

 

多分こんな感じで

 

もっともっと、辛いのでしょうね。

 

タイトルですが、

 

ふと思うことがあります。

 

今ある『あたりまえ』は

 

必ずいつか、消えてしまうのだということ。

 

もう五万と擦られた言葉だとは思いますが

 

いざ自分が状況に置かれると、そう思うのです。

 

『あたりまえ」

 

母親の飯が食える。

 

父親と話が出来る。

 

兄弟と一緒に居られる。

 

いつかは無くなるもの。

 

日常を過ごしていると

 

何かに向かっている時ほど、忘れています。

 

でも全てを取りこぼさずに生きることは無理です。

 

俺はそれでも家は出るべきだと思うし、

 

それが『俺自身の』人生を良くするには

 

絶対に必要なことだからです。

 

みんな残された時間はどんどん減っていき

 

あたりまえは過去になり、

 

二度と手の届かない記憶になってしまう。

 

こんなこと考えていると

 

マジでキツくて生きにくいのですが

 

少しでも「残そう」「忘れないようにしよう」と

 

意識することは大事だと思うのです。

 

こんな状況にメンタルが追い込まれていても

 

周りは何一つ顔を変えず、過ぎ去る。

 

それが苦痛であり

 

見方によっては救いでもあります。

 

でも、今の俺にとっては

 

これだけ落ちている自分に

 

今あれこれ、注文をつけられても

 

『そんなこと今どうでもいい』という感情です。

 

裏で進んでいる年末友人達と遊ぶ予定のLINEも

 

今はただ鬱陶しく、虚しく思えます。

 

今日は、早く帰ろうと思います。

 

日課の腹筋だけは欠かさずに。

 

日常を手放さないこと。

 

こういう時ほど、地盤を崩さない。

 

きっと「あたりまえ」の日常が

 

自分を助けてくれると信じて。

 

それでは。

 

〜本日のリリック〜

 

自身 愛で満ち足りてる時ほど

 

そのへんにある愛に

 

気づきやすいもんなんやと思ってた

 

余裕のある時ほど

 

分け与えられるもんなんやと思ってた

 

 

大事なもん失い

 

半分になった身体で

 

空っぽの心で

 

街を真っ昼間ふらついて歩けば

 

街の方は 何事もなく平然と

 

上空に雲ひとつない 

 

青空をたたえてた

 

身体 半身 風を感じ 街をさまよう

 

身体 半身 風を感じながら街をさまよう

 

想像するに絶望的な光景は

 

絶望の中では 希望に見えた。

 

神門-愛 (掌より)

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