服、音楽、文描き。(Prod. by いんふぃ)

ファッション,ダイエットのことなど書いてます.

自分を見つめ直す読書の秋

いんふぃです.

 

先日,半年以上ぶりに再会した友人の家で,

 

鍋をごちそうになりました.

 

家に行くのと,ご両親にお会いするのは5年ぶりとか

 

そのくらいです.

 

友人は大学には進学せず,当時の夢であったシェフを目指しますが

 

コロナ渦に陥ったこともあり,まともに働けない時間も続き

 

約2年間務めたあと,

 

「自分には何が残ったのだろうか?」

 

「何が身に付いた?」

 

というところで怖くなり,やめてしまいました.

 

それから一度ニートにはなりましたが,

 

長らく付き合っている彼女との将来を見据えて,

 

腹を決め,父親の会社に就職しました.

 

建築関係の会社だと思います。

 

私が理系大学で地獄を見て,その後理系職だけは避けようとしているのは

 

これまでの記事でも書いてきました.

 

彼は,私が大の苦手とする物理や数学ですら

 

平均やや上くらいだった高校で,ドベに近かったこともあり

 

非常に苦労をしていました.

 

「分からないところを聞いたけど,分からない」

 

「相手にとってはあたりまえのこと過ぎて,申し訳なくて聞けない」

 

自分の研究生活と被ってしまい、

 

痛いほど彼の気持ちがわかりました.

 

彼にとっての上司が私にとっての先輩です。

 

その後、彼の父親が帰ってきて,

 

親子での腹を割った話が始まり,

 

友人が泣き出してしまったところでフィニッシュ.

 

社会人として1年先輩の彼の現状を見て,

 

身が引き締まる思いでした.

 

最近は家族がやたらと読書をし始めています.

 

それぞれまったく好みは違うようで,

 

父親はアクションとか過激なもの,

 

母親はミステリーといった風に。

 

姉はいまいち分かりません(笑)

 

家族の空気感に感化されて,

 

自分も読書を始めました.

 

普段通学中は音楽を聴いているのですが,そこで読書をしています.

 

私が好きなのは~...と言えるほど読んではいないのですが.

 

二年前人生で一番辛かった時,手に取ったのは「哲学書」でした.

 

とはいっても,原著を読むには力が足りないので

 

読みやすく解釈がなされたものを基本的には読んでいます.

 

当時背伸びして読んだのがラッセルの「幸福論」や,

 

シオランの思想を分かりやすく説明した,

 

「生まれてきたことが苦しいあなたに 最強のペシミストシオランの思想」

 

などでした.

 

手に取った本のタイトルからも分かりますが,

 

とにかくネガティブというか,極限状態だった当時は

 

「幸福とはそもそも何か」

 

ということを,追究していたように思います.

 

ものすごく頑なに「幸せ」を定義し,それを得る手段を

 

自分の中で作りあげることで,現状を打破しようとしていました.

 

ここ一年はその時ほど追い詰められていないこともあり

 

しばらく読んでいませんでしたが,

 

今回は直近に会った友人の姿が目に焼き付いていたこともあり,

 

自己啓発的な本を読んで,一度自分を見つめ直したい。

 

そんな思いから,

 

久しぶりに「嫌われる勇気」を手に取りました.

 

一度読み切り,なんとなく理解したものの

 

今読むことで何か違う解釈が得られるのではないかと考えたのです.

 

この本は「アドラー心理学」をもとに書かれていますが,

 

基本的に,キツイです.

 

論じられていることは間違いはないのだけど,

 

この内容を受け入れ,そして自身に落とし込むには

 

それ相応の覚悟と,精神的な余裕が必要であると思います.

 

まだ途中ですが,いくつか自分の中で思ったことを.

 

まず第一に本書では「トラウマ」を否定します.

 

ここで止まってしまう人はたくさんいらっしゃると思います.

 

「幼少期親に虐待をされた」

 

「学生時代みんなの前で恥をかいた」

 

「自身の身体的特徴をバカにされた」

 

など,これらすべてが否定されます.

 

どういうことなのかというと,

 

「そのトラウマ自体は今の自分を形成する直接的な原因にはならない」

 

ということです.

 

私なりの解釈ですけど,

 

要は「変われない自分の現状を,何かのせいにするな」

 

ということだと思います.

 

言いたいことは分かるのですが,大きな心の傷を負っていたり

 

それこそ性的な虐待などを受けた人は,立ち直ることがより難しいと思います.

 

これを私は、

 

いわば「究極の合理性」であると考えています.

 

わんわん今の現状を嘆き散らしたところで,何が変わるのでしょうか?

 

可哀想だね,頑張ってるね,大変だったね...

 

よしんばそんな同情を得られたところで,

 

目の前の問題は解決せず,自分は何者にもなっていないのです.

 

何かと理由をつけて,安全地帯に引きこもっているのです.

 

例えば、

 

「俺は背が低いから彼女が出来ない」

 

「大学が忙しいからやりたいことが出来ない」

 

「両親が食わせてくるからダイエットが出来ない」

 

全て,原因論になっているんですね.

 

これらは全て私自身の言い訳そのものです。

 

「背が低いから」と言い訳をしていれば

 

彼女を作る為に必要な大変な労力をかけなくて済みます.

 

朝髪をセットするための時間を確保するために早く起きる,

 

デートのお金を貯めるために自分の好きな趣味へのお金を我慢する、

 

自分だけが楽しむのではなく、相手を理解し楽しませるetc...

 

これらを,やらなくて済むわけです.

 

それどころか「やればできる可能性がある」

 

という,安易なぬるま湯にずっと浸かっていることになります.

 

これは就活でも同じでした.

 

面接で怒られたり,恥をかいて馬鹿にされるのが怖くて

 

就職活動自体に踏み切れなかった自分.

 

「いや,ちゃんとやり始めれば出来るから」

 

「まだ本気に向き合っていないから内定がないだけ」

 

結局は,多少不備があっても,今の生活に甘んじていたわけです.

 

もちろん,これらを受け入れるのは容易ではありません。

 

私は22の男ですが,身長はたったの160cmです.

 

正確には159.6cmです(笑)

 

見た目が大きく作用するアパレルの世界で,

 

「なぜ皆が当たり前に持っているものが自分にはないのか?」

 

という,どうにもならないことをずっと抱えていたのです.

 

実際めっちゃ不利だし,彼女を作ることを考えても

 

世間では多少ブサイク(失礼)でも高身長が選ばれるそうですからね.

 

そこで自分よりも身長のある他人が

 

「気にすることはない」と言ったところで

 

私は結局何一つ納得できないわけです.

 

だからこそ,苦しい.

 

大事なのは「自分で納得のいく理由を見つけること」です.

 

身長160cmの自分でも、

 

高身長に生まれなかった不条理を納得できる理由が必要なのです。

 

自分の為だけのオーダーメイドな理由が.

 

何故か? 

 

何かと言い訳が出るからです.

 

例えば165cmで自分と似たような人がいたとする.

 

その人が彼女を作っていて,幸せそうにしていたとしても

 

『この人は5cmヒール履いたら平均くらいだしな』とか

 

『160cmと165cmじゃこれまで味わってきた苦痛も違うしな』とか

 

こういう状態に陥ると,

 

たとえ,自分と同じ160cmの人が上手くいっていても,

 

『この人は顔が小さいから頭身で高く見えるから』

 

『骨格が元々細いから』

 

とか,何かにつけて言い訳をしてしまうからです.

 

だからこそ,自分が本心で納得のいく理由が必要なのです.

 

他人からの意見は一時的な対症療法でしかない.

 

結局自分を動かすのは,自分の考えそのものなのです.

 

2年前,死ぬほど周りの大学生がうらやましく,

 

彼女が欲しくて身長コンプレックスにあえいでいた私ですが

 

今は随分と落ち着きました.

 

「いや,でも出来てないじゃん」

 

という意見が聞こえてきそうですが,そうではないのです.

 

要は,悲観的になりハナから諦めるフェーズからは抜け出せたということです.

 

身長が低いなら,根本的な解決ではないけど

 

ファッションが好きな自分からしたら,厚底履けばいいと思います.

 

女性は「ヒール」なのに男性だと「シークレットシューズ」と形容されるように

 

明らかに厚底=恥ずかしいという風潮がありますが,

 

厚底をかっこよく着こなせばよいだけの話,

 

そう『自分なりの答え』が見つかったとき,多少ラクになれました.

 

まあでも正直「160cmの私そのもの」はまだ受け入れられていません.

 

もっと履けるパンツが増える,という理由はあるものの,

 

いまのところVANSやジャーマントレーナーのような

 

全くヒールのない靴は,好きですがまだまだ履けそうにありません.

 

いつか,解放されて自由になる日を楽しみにしています。

 

Balenciagaのtriple s,Marigielaのタビブーツなどのブームメントによって,

 

男性が厚底やヒールを履くことへのイメージがポジティブになったタイミングで,

 

ファッションに出会えたことは,私にとって本当にラッキーでしたね.

 

ファッションと出会い,たくさんの固定観念が取り除かれてきました.

 

「ワイドパンツはダサい,女性が履くもの」

 

「ミリタリーとか軍モノって,オタクっぽい」

 

「カバーオールって汚い労働者みたいやん」

 

「襟コーデュロイって田舎臭くね,キルティングってダサくね」

 

「ヴィンテージって、ただのボロ布じゃん。高い金払ってバカじゃないの?」

 

「ジャージって,おっさんじゃないんだからさ(笑)」

 

「チビはロングコートが似合わない,絶対着るのはNG,か...」

 

失礼しました(笑)

 

全てこれまでの私が一度は抱いたことのある本音です.

 

面白いのが,知れば知るほど,

 

正しい知識と仕組みを知っていくことで

 

ことごとく全てが覆った,ということです.

 

そして,自分の勝手なイメージの信用のなさに気づいたのです.

 

この「決めつけ」は非常に強い力を持っているし,

 

今の現状を保たせてしまう,大きな「逃げ場」になってしまいます.

 

だからこそ,知ること.

 

決めつけずに,本当はどういうコトなのか?

 

何を伝えようとしているのかを学び,自分の糧とすることです.

 

他人の言葉が,意見が,思想が自分の答えになることはありません.

 

自分が納得できる理由を構築するために取り込むのが

 

一番楽な生き方なのではないかと思います.

 

随分と長くなりましたが,

 

今一度自身を見つめ直したい,そんな気づきでした.